nanimonaisekai

これのこと

自分という幻想が消えた時の話

この身体にずっと感じていた

当たり前の

「私」が存在している感覚

私が判断して

私が考えたり、行動している感覚

私の思考

それが当たり前でした

 

その感覚が消滅することなど

考えたことも無かったし

聞いたことがありませんでした

 

でも

それは突然起こりました

「私」には想像できない

「私」が居ない世界

 

何も無い世界

 

 

突然消えました

消す為に

何かをした訳ではありません

 

突然自分に起きたこと

この「自分」が消えた感覚は

何なのか解りませんでした

気が違ってしまったのだろうか?

病気なのだろうか?

直ぐに検索し、調べましたが

見つかりませんでした

 

その当時

ネットでは、それぞれの感覚を

配信している方

書物を出版している方

特別ないろんな人

情報として見ていました

 

詳しく見て行くと

それまで思っていた

特別な人が語っていたのは

どれも

「自分」「私」という感覚を

持ち合わせた上での情報でした

 

「これ」とは全く違うものだと

直ぐに解りました

 

 

数ヶ月後やっと

情報に行きつきましたが

それは、語れない事実

言葉にすると

それは方便でしか無く

言おうとする雰囲気の中に

漂う真実でした

 

語れない「これ」です

 

目の前の現実では

既に随分と時間が経過しましたが

変わること無く

ここにあります

 

 

 

これです

 

 

消せない?

体の中に自分が居るという感覚

私が存在するという感覚

 

その感覚を消したくても

自分で消すことは出来ない

 

その自分の感覚が幻だから

幻には幻を消すことは出来ない

 

全体がそのように表れているから

全体の現れ方が変われば

それは起きるのだろうけど

 

原因や結果や

方法など

それは幻の世界の中での提案

 

でも幻も含めて全体の表れだから

 

いつ何が起きるかわからない

 

 

 

起きていて起きていない

 

全ては愛の中

 

元々自分・私はいない

 

これを今読んでいる貴方も全体

この文字を打っているのも全体から

 

 

二元の世界を超えたところのことを

二元の世界では伝わらない

 

そして

二元の世界と非二元は別々ではなく

ここに同時にあって

分けられてなくてひとつ

 

 

結局、いつも言えることは・・・

 

全体はひとつ

全ては全体の表れ

 

全ては愛の中

 

それは

既にいつもここにあって

隠されてなくて

触れているのに

全てそのものなのに

でも感じられない

 

ジレンマを抱えているかも知れない

何でも起きる

 

その感覚も全体

 

 

 

時間と距離が無い

きょりがない

これ

全体のことだけど

 

これには

時間と距離が無い

 

ぜーんぶ繋がっていて

これしか無いから

 

移動とか無い

 

時間も無い

 

いつも新鮮に

これが在る

 

説明の為に

言葉を重ねて行くと

 

どんどんこれが違って伝わってしまう

 

言葉には出来ない

 

ここと何も離れてないのに

全てはこれなのに

 

時間と距離を感じている

自分が居るという感覚は

満たされない感覚も作ってしまう

それは

自分が居るいう感覚の幻の中では

消えることが無い

 

二元世界の幻は

自分が何かを起こしているという

感覚も持っていて

満たされない感覚も

そこに現れる

 

ここには

誰も居ない

時間も距離も無く

物語も無い

何も起きていない

 

でも

目の前に映っているこれも

全体の表れ

自由に

何でも起きる

 

起きていて

何も起きていない

運が良い?運が悪い?

この世界は

運が良いとか悪いとか

そう思うことがある

付いてる付いていないとか

上手く行くとか行かないとか

思い通りとか

 

良いことが有れば悪いこともあるとか

 

でも

そんなバランスなんかは何も無い

 

自分で起こしていると思っているかも知れないけど

これら全ては

全体で起きていること

 

誰かが判断したり、選んだりしていない

 

ただ

起きている

 

その時、その時で

どのように映っているかはわからないけど

そのように起きている

 

個人個人がいるように見えるのも

これも全体の表現

 

個人の中で解釈が起こっているように感じているのも

全体の表現

 

色んなことを感じているのも

全体の表現

 

そして

全ては

 

 

愛の中

 

漏れなく全ては愛の中

 

 

 

   "大丈夫"

 

 

全ては愛に抱きしめられている

全て繋がっていて

全体しかないのだけど

全体が全体を抱きしめてる

愛が愛を抱きしめて

振動して溶けあってる

「自分」の感覚が消えること

一人ひとりの中に

居ると思っている「自分」という感覚

有ると感じている「私」

 

その感覚が消えても怖くない

 

外見上は何も変わらない

ただ全体として起きていることが解る

そこに理解をしている「自分」はもう居ない

起きていることだけが

ここにあることが解る

それは

誰も判断していないことや

コントロールしていないことも解る

全て全体で起きている

 

幸福も不幸も無く

良い悪いも無く

 

ただ起きてる

 

今までと同じように起きる

 

絶望はしない

 

自分の感覚が有った時も無くなってからも

外見上は何も変わらない

でも

二度と自分が居るという感覚に戻ることは無い

 

何も起きていないけど

それは

終わりでもあり、はじまり

 

 

そして

全体は

全ては

だと解る

 

そこに理解している誰かは居ない

言葉では表現できないことを知る

個人的な経験では無かったことを知る

初めからここから離れていなかったことを知る

いつもここに有ったことを知る

「自分」も全体だったことを知る

 

そして

それを知っている「自分」は居ない

 

 

知ることは出来ないのに知ろうとする

これのことを

 

誰も知ることは出来ないのに

知ることが出来ると思ってる

 

錬金術

のように感じているのかな

手に入れることが出来ると思うのかな

願いが叶う?

と思っているのかも知れない

救われたいと思うのかな

助けて欲しいって思っているのかな

 

そう思うことは

素敵な幻

 

 

そもそも

そのような存在がいない

 

知ろうとしているその存在が

 

だから

知ろうとしているところは

知ることはできない

 

それが

 

ここです

 

願いをかなえることも

助けることも

奇跡を起こすことも

出来ない

 

そこは幻だから

 

 

それでも

幻は

知ろうと

するんだね

 

凄い

 

全ては

全体で

ただ

このように起きてる

 

 

静寂

 

全体が

愛と自由で満ちているように

静寂も

常にここにある

離れることはない

 

夢のようなこの世界で

いまどのような表現が

起きているとしても

 

そこには全く影響されない

 

 

ここは

しーんとしていて

何も起きていない

 

 

そして

無限大に広がった

 

 

自由

 

静寂

 

 

 

常に

 

いつも

 

ここに広がってる

 

 

静かに

 

満ち溢れてる

 

 

全ては

愛・自由・静寂

ここから現れて

愛・自由・静寂

の中に

帰って行く

 

 

・・・

 

何も起きていないのだけど

 

・・・